佐藤美枝子・中鉢 聡 デュオリサイタル

歌のリサイタルは楽しいですね。プログラムはドニゼッティ、ヴェルディの難解な名曲が中心。お遊びで私もヴェルデイ・ソプラノ用楽譜を覗いてみました。「慕わしき御名は(Caro nome)」の最終部、3点cから2点dis に下がり3点cisに跳躍するという厭らしい微妙な音程、「ああ、そはかの人か~花から花へ」は後半で音符が鍵盤打楽器のごとく緻密に連なり、マラソン選手並みの体力・気力を要求。ヴェルディが自分で歌えるはずないから、こうした曲作りをしたんでしょうね~。

デュオである「愛の妙薬」~ラララは、お二人のオペラ的な演技と佐藤美枝子さんの貫禄を存分に楽しみました。アンコールのオペレッタ曲で中鉢さんがステージを越えて観客とコミュニュケーションを取ったり、日本語の歌詞でお互いの目を見合った、ダイレクトな愛の表現が伝わってきます。気心の知れたユーモアとオペラ的なデュオリサイタルでした。

7月11日(土) 松戸森のホール21 14:00~

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モスクワ放送交響楽団 オペラ《イオンランタ》

瑞々しい美声と端正な技法で盲目の姫イオランタを演じた佐藤美枝子。声楽的に申し分ない舞台である。しかし、騎士ヴォデモンであるオレグ・ドルコフが、前半に脆弱な印象を与えるファルセット表現があったにせよ、一目で恋におちたイオランタに光の世界を教え、彼女に訪れる新たな心の覚醒と清冽な恋は、人格と人格が相対(あいたい)する内奥から溢れる劇的な表現を求めたい。

オペラ全体はレネ王であるドミトリー・ベロセルスキーの、深い愛惜と熱情的な父性を表現したバスの豊かで強靭な歌声が導線となり、抑制され翳りを帯びた前半から愛の力を根底に見開かれたイオランタの現象的な世界を、チャイコフスキー「交響曲第5番」が微かに混在したシンフョニックなオーケストラと習熟した合唱団の抱合によって、歓喜のコーダへ向かう。

モスクワ放送交響楽団にとって手馴れたロシアン・オペラということもあるだろう。ソロ・バイオリンとハープの重奏、独奏チェロの響き、木金管弦楽器、ティンパニー、合唱全ての透明な音色が縦横に駆使され、甘美で叙情的なチャイコフスキー世界を的確に見事に表現し、十二分に感動を誘う堪能の時となった。 /コンサート形式 6月5日 サントリー・ホール

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ミハイル・プレトニョフ指揮 「悲愴」-ロシアナショナル管弦楽団

以前「名曲の楽しみ」でプレトニョフ指揮「悲愴」を流していた。優等生的な演奏だけど好感を持った。図書館から借りて聴いたムラビンスキーの演奏は各楽器が独立して高密な名演なのだが重くて馴染まなかった。何たって3楽章の終わりは暗過ぎる。時代が生む音楽、必要とする音楽があるのだ。

この日は悲愴を聴きに行ったといっても過言ではないのだけど、バイオリン協奏曲では、体躯の見事なオーケストラ団員を背景に、ソリスト川久保賜紀さんは怯むことなく感受性の鋭い叙情性に溢れた熱演を繰り広げた。マゼンダ・ピンクとオレンジを混ぜた華やかなドレス姿が不思議なくらい、いつしかオーケストラに溶け込んでいた。

さて「悲愴」である。お箱といえるプログラムなので完璧な仕上がりはもちろんだが、2楽章からが特に素晴らしかった。ロシアの悠久な大地と空の広がり、風の流れが脈々と波打つ。格調高いチューバを主体としたダイナミックな金管楽器、チェロをふくめた弦楽器群、打楽器群も大奮闘。ちょっと久しぶりに涙ぐんだ。チャイコフスキーは西洋的だと言われているけれど、心が動される音楽の底流には民族的な秘薬が隠れていると思う。

7月4日(土) 2時 サントリーホール

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光輝く天空よ-DVDオペラ「イオランタ」(チャイコフスキー)

アンデルセンの童話である戯曲「レネ王の娘」を基に、盲目の姫・イオンランタが強い意識化によって異なった次元に覚醒していくオペラ映画。

演技者と歌い手は分かれており発声の勉強には用を得ないが、「暗闇を纏っていれば自然界は不変~♪」など、訳詞(一柳 冨美子さん)が大変哲学的で、複数回見聞きすることで理解が深まっていく言語世界だ。

イオランタに恋をした騎士ヴォデモンが彼女を連れ出す自然界を背景に、互いの世界を認知しあい、求め合い、共鳴し、共存する場面が秀逸。

父であるレネ王の一人娘に対する懊悩と愛情は暖かく深いバスで表現されている。日本でのオペラ上演は限られているようだが、舞台で観てみたいロマンチックで純化されたチャイコフスキー音楽だ。

1963年リガ・フィルム 歌劇「イオランタ」映画版 

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曽我大介・音楽千夜一夜物語

ブザンソン指揮者国際コンクール優勝、近年は作曲家としても著しく、国内に留まらず国際的な活動を繰り広げるマルチな音楽家、曽我大介氏による名曲講座。

4月12日はワルツ「美しき青きドナウ」を題材に、ヨハン・シュトラウス一家の相貌、シュトラウスⅡ世の功績と知られざる素顔、ワルツの前進である民族舞踊レントラーをタップで紹介するなど、盛り沢山な内容と茶目っ気たっぷりな語り口に、世代を問わないサロン会場は朗かな雰囲気で包まれた。

日曜日の午後3時から5時にかけて肩の力を抜いて楽しめるこのシリーズは、8月2日にメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」へと続く。お問い合わせは「ヤマハ ミュージック アベニュー銀座 アネックス」まで HP曽我大介

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静謐の色、静寂な音 浜口陽三 生誕100年記念展

地下鉄半蔵門線水天宮前駅出口A3、角のうどん屋で軽く昼食をすませ、信号を渡り相向いのミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションへ。薄暗い照明の下に、一階は微妙なグラデーションが重なる版画作品が並び、地下に油彩の風景画や水墨画、少年期の作品が展示。

浜口陽三は「さくらんぼ」や「すいか」をモチーフにしたカラーメゾチント手法、いわゆる銅版画で名高いが、

油彩である「かもめのいる風景」(1990年頃)は、夜の帳に包まれた深い群青色の海と空を遮る壁に、鮮やかな紅色のかもめが6羽とまっているファンタスティックな世界で、平静な魂を引き寄せられる。1950年前後の初期作品は、フジタ、モジリアー二、キスリングなどエコール・ド・パリ派の影響を受けていると思われるが、単純な線で白が混じった淡い璧色とベージュの油彩で描かれた「二人の裸婦」は、日本画家・小倉遊亀的な清楚さと都会的でモダンな印象によって飽きさせない。

平日で雨天ということもあり、落ち着いた館内と藍色や黒の深い色彩を使った独創的な作品群は自分を取り戻すにふさわしく、再度気軽に出かけたいギャラリーだ。

浜口陽三 生誕100年記念展 2009年7月20日(月曜日休館・祝日の場合は翌日)まで 

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新大久保・民族的ベルカント発声

帰り道、電車が来るまで新大久保駅高台のホームから、初めて歩いた通りをながめる。・・・アジア的喧騒、といっても夏至が近い日本の夜はけだるい暑さとは無縁で心地よい。

・・ふとホーチミン市民劇場で聴いた高度なテクニックを持つベトナム人歌手達の声を思いだした。ベトナム人女性の話し声は高めで天国的な繊細さが特徴で、その歌声は西洋ベルカントを模倣しつつ、響きと言葉のニュアンスに民族的な色彩感が感じられた。

同様に日本人による日本歌曲を聴いていると、時には他国の歌にせよ、知らずして無意識下の日本的な歌いまわしを感じる時がある。西洋的な衣裳を纏っても古来民族の遺伝的形質が微かに潜んでいるのだ。

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