クラッシック的音楽の力 東敦子さんと早稲田グリークラブ
ご主人がヴェネチア人であるご夫婦と、とある東京の宿舎でおしゃべりをしていると、ご主人がコーヒーを飲みながら「10年前のあのホテル(注・日本内)で飲んだコーヒーは美味しかった。」と、目を潤ませておっしゃいました。街全体が歴史の中に沈んでいるイタリア的回顧というのでしょうか、私は目が丸くなるほど驚きました。
音楽も時と共に流れていく一過性の所産でありながら、記憶と体内に深く刻み込まれる場合があります。そのお一人にソプラノ歌手であった今はなき「東 敦子さん」のジョイント・リサイタルを思い出します。背筋をしゃんと伸ばして闊歩する姿は、風格にあふれていてヨーロッパ的でした。最後にヴェルディ「乾杯の歌」を歌われたのですが、肩高くあげている右手に、持っていないゴブレットが確かに見える、力強いお声でした。
また、ある夏のこと、早稲田大学のグリークラブによる演奏を実家近くのホールに聴きに行きました。公演が終了し帰路に向かうと、合唱団がホールの外である広場に出てきて観衆を呼び止め、夜空に向かって再び歌い始めたのです。卒業を間近に控えた学生達にとって、今晩が最後の公演なのでした。ロシア民謡「カリンカ」を歌う甲高く美しいテノールが夜空に響き渡ります。
東敦子さんのコンサートは、ご病気の後だったのでしょう。「生きていくことは生易しいことではありません。」と歌の合間にお話をされました。技術もさることながら、演奏者の人生折々に訪れた感慨に出くわしたときに、いい知れぬ、感動以上の何かに突きあたります。音楽も絵空事ではないのです。
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